私が思う『はっぴーな暮らし』

 

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 徳永 彩智(とくなが さち)

長野生まれ東京育ち。母と二人で高田馬場に住んでいます。家族構成は母と姉と私。

小さい頃から、仕事と育児と家事と趣味のゴルフにフルコミットする母の背中を見て育つ。目立ちたがり屋、コミュ力あり。物怖じしない。思い立ったが吉日、好奇心のままに行動する。一つのことにとことん頑張るパワフルタイプ。

 

 

今日は私が思う『はっぴーな暮らし』について書く。

 

夏休みの間、どういう風の吹き回しで神戸に行って、実際にどんな化学反応が起こって、これからどうするのか。

 

ぜひ読んでほしい。

 

 

「自分の人生を生きたい。」

 

それが私の根っこにある欲求。

周りに流されず自分の意志を貫き、自分が心から「こう生きたい」と思う人生を生きる。

その生き様で周りの人々にも影響を与えられるような人でありたい。

 

大学三年生の秋、就活を控えて「自分は何者なのか」、「何の為に生まれてきたのか」、「人生を賭けて何を成し遂げるのか」という問いにぶつかった。

答えなんてなく、考えれば考えるほど悩む。

 

自分の過去を振り返ってみると、何となくモヤモヤする場面があったことを思い出した。

億劫で家から一歩も出ない田舎のおばあちゃんを、帰省の度に何とか外に連れ出すところ。おばあちゃんの介護について顔を暗くして話し合う叔父ちゃん。

 

近所のおばちゃんは、毎週デイサービスに通い友達もたくさんいて、口数も多く前向きなのに、何でこんなに違うんだろうと思った。住んでいる場所や周りの環境が違うと、こんなに生き方が違うのかと思った。

私がおばあちゃんになったら、、、と考える機会が増えた。

 

そんなとき、偶然にも神戸にある医療・介護サービス付きの高齢者向け賃貸住宅を見つけた。おばあちゃん達が毎週パーティー三昧というところに興味を持ち、1ヶ月間インターンという形で自分のワクワクを確かめにいった。

このときの出来事は今の私に大きく影響していて、これから話す世界観に深くつながっている。

 

 

頭の中のふわっとした世界観を3つのキーワードを使って言葉にしていきたい。

 

#バーチャルではないリアルなつながり

半径100m圏内、物理的なつながり。約束をせずに顔を合わせられる距離感。例えば、たまたま街の商店街で会ったときに「今日、コストコに行くからピザ買って持っていくね」っていえるような、地域の交差点みたいな場所。一緒に晩御飯に行ったり、銭湯に行ったりできる場所。

今ってSNSで簡単に誰かとつながることはできる。それってつながっているように見えてつながってないのかもしれない。「遠くのシンセキより近くのタニン」と言われるが、本当にそうだと思う。

 

#暮らしに根ざした居場所

暮らし丸ごとシェアしたい。

「おはよう」、「おやすみ」、「いってらっしゃい」、「おかえり」、「ただいま」がいえる場所。

何歳でもどんな時でも暮らせる場所。0歳〜100歳まで多様なライフステージを過ごせて、同じ空間にいるけど全然違うことをしているような場所。

特におばあちゃんと子供は絶対一緒にいた方がいい。子供、高校/大学生、子育て中のママ、人生の折り返し地点を迎えた中年世代、余命2週間のおじいちゃん、などみんなが暮らしている場所。日常の登場人物を増やすこと。友達グループの中にいる自分、クラスメイトといるときの自分、職場での自分、近所に住んでいるおっちゃんとの自分みたいに、一本線ではなくて色々な線があるようにしたい。

 

 

#第二の実家

どこか懐かしいようなところ。久しぶりに帰るとホッとするようなところ。

過去も未来も関係なく、そこにいる「今」笑いあえる安心感みたいなものがある。

「できることはなくても、いることはできる。そのまんまでいいんだよ。」っていうメッセージを入れたい。

また、それが「第二」であることがいい。本当に生まれ育った家ではない、第二の家。子供から大人になるまでの約20年間の過去を一旦棚に置き、まっさらな心で「自分は何者で、何がしたいのか」問い続けられるような場所。

 

 

人は「環境」の生き物という。自分が意図していなくても、ある環境に入ってしまえばそこに馴染む自分になっていく。大多数の意見が当たり前と信じて、疑わない。

 

私は、人のつながりを通じて、もっと「環境」を選べる、「生き方」を選べる社会を作りたい。